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「承認欲求」と「かまってほしい欲求」

ビジネスマインド

 

 

一部の部下(ディディガ)は、車の運転すらまともにできません。

「かまってくれる特典」が付いてこなければ、運転できないのです。

そんな話です。

 

こんなエピソードがありました。

出張で他県に行くことになりました。

出張先での仕事は一瞬で終わるのですが、荷物が多いということで、

社用車を使用することになりました。

 昼過ぎに出発して夜遅くに戻ってくる、というスケジュールです。

 

 

車の運転は負担ですか

誰が運転するかという話になりました。片道3時間の道のりです。

・順番で運転する。

・じゃんけんで負けた人が運転する。

・立候補者が運転する。

 

いくつかの選択肢はありました。

じゃんけんで決める雰囲気ができるのを半ば遮るかたちで、職員Aが言いました。 

 

「運転しますよ。車運転するの苦じゃないし。○○に行ったらイイんですよね。」

「○○号線であそこまで出て、△△号線使って、いや□□に乗った方が早いか」

「でも、こっちの道あんまり使ったことないし、この車に荷物と人間4人乗せたら遅いだろうな。排気量も~」

 

なにやらブツブツ言い始めました。

私は嫌な予感がしました。

(こいつもしかして、あのタイプか。いや絶対あのタイプだろ)

 

 

眠たいのを我慢できますか

職員Aの運転で出発しました。

昼食を済ませてお腹いっぱいになり、ちょうど眠たくなる時間帯です。

 

しばらくして、助手席に乗っていた職員Bが居眠りを始めました。

すると、職員Aがブツブツ言い始めました。

 

「人が運転してるのに、となりで寝るとかある!?」

「運転する側の気持ちにもなれよ!」

 

人間の三大欲求である睡眠欲。

かなり強烈な欲求です。

これに勝つのは至難の業です。

国会中に居眠りしている議員をカメラが抜いて、批判の対象にします。

それでも議員は眠ってしまいます。

数秒目を閉じたら死に直結する、自動車の運転。

それでも居眠り運転で事故が多発しています。

午後の会議や授業、あの眠気は拷問です。

 

とにかく、眠いのは我慢できません。

 

 

善ってなんですか

そもそも、運転している人間に気を遣ってまで眠気を我慢する必要があるのでしょうか。

運転している人間は、相手に拷問並みのストレスを与えることで、何を求めているのでしょうか。

なぜ、ディディガに限って運転したがるのでしょうか。

行きも帰りも眠たい時間になります。

誰かが短時間でも眠って、頭をスッキリさせておくことは、

次の運転手の確保というリスクヘッジにもなります。

 

ディディガは、「苦を分かち合うのが「善」だ」という思考が発展しすぎて、

「自分が苦を味わっている時は、他人も苦しむべきだ」という思考に陥っています。

 

「運転は疲れる」「道中は眠たくなる」といった問題の解決策は簡単です。

①交代で運転する。

②自分が運転する時に備えて、眠れる時は眠っておく。

 

しかし、ディディガが考えはこうです。

運転している自分をかまうのは当たり前だ。

かまって欲しいんだから、ひたすらかまえ。

 

コレ、誰が得するのでしょうか?

 

リラックスできる環境が欲しくありませんか

出張先での仕事が終わりました。

帰りを誰が運転するかという話になった時、私は切り出しました。

「交代で運転しよう。みんな疲れてるだろうから。運転手以外は眠ってもいいし、スマホいじってもいいし、リラックスして自分の運転時間に備えよう」

 「じゃあ、誰が運転する?」

 

全員が手を挙げました。

 

私「職員Aは、行きも運転したし、となりで眠られたらイヤそうだら運転しなくてもいいよ」

職員A「別にいいですよ。運転します」

私「いいよ、助手席に座る人間が気を遣わないといけないから疲れるし」

職員A「眠っていても大丈夫ですよ。運転好きですし」

 私「よしわかった。じゃあ、職員Aの助手席に座りたい人いる?」

 

職員B「・・・別に・・いい・・けど」

職員C「私・・いこ・・うか?」

 

結局、4人で運転を交代しながら帰りました。

職員Aが運転している時、1人は眠り、2人はスマホをいじっていました。

 

職員Aの相手は誰もしませんでした。

もちろん、他の職員が運転している時も同様、誰も他人に気を遣いませんでした。