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【彼女が冷蔵庫の中を整理するワケ】  動機の本質について思うこと

 

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使いにくい冷蔵庫

会社の給湯室に、1m50cmにも満たない大きさの冷蔵庫がある。

中には、社員が持参した飲み物や食べ物を入れてある。

 

この冷蔵庫、部署の人数からしてみると容量が小さい。

いつもパンパン詰まっており、扉を開けるとペットボトルが一つ二つこぼれ落ちる勢いだ。

だから非常に使いにくい。

毎日「使いにくいなぁ」と感じながら使っているのだ。

 

ちなみに、冷蔵庫の中身は、とにかくもう杜撰だ。

飲みかけのペットボトルや缶コーヒーが、何日も冷蔵庫の中に入っている。

持ち主たちは、当然もうペットボトルや缶コーヒーのことは忘れているだろう。

 

つまり、「飲みかけ」が、ただでさえ容量が少ない冷蔵庫のスペースを、更に小さくいている訳だ。

 

この状況を見かねているのは、私だけではない。

社員Aは、持ち主不明の「飲みかけ」を自主的に処分している。

非常にありがたい行為だ。

 

 

 

 

私の「片付け」観

冷蔵庫の中を片付けたあと、社員Aはいつも他の社員から礼を言われている。

社員Aはとても嬉しそうだ。

もちろんだが、私もお礼を述べる。

しかし私は、こんなことを考えたりもする。

「私だったら、この冷蔵庫にどう向き合うか・・・」

 

例えば、お礼を言われて嬉しいだろうか。

「礼はいいから、冷蔵庫をとにかくキレイに使え」と、憎まれ口を叩きそうだ。

 

そう考えると、社員Aが冷蔵庫を掃除する目的は何なのだろうか。

ひょっとしたら、社員Aにとって汚い冷蔵庫は「要るモノ」なのかもしれない。

 

 

私は、とにかくモノを捨てるタイプだ。

「要らないモノ」は何でも捨てる。

皆が捨てられないモノまで平気で捨てる。

強調しておくが、私が平気で捨てられるのは「要らないモノ」だ。

 

例えば、手紙の類。

お礼の手紙など、一定期間過ぎても掲示板に貼り出されている。

皆は、コレに触れないのだ。

しかし、私は触ることができる。

というか、捨てることができる。

 

心の中では誰もが「要らないモノ」だと思っていながら、誰も捨てることをしない。

保管しようとさえしない。

例え保管したとしても、再び誰かがこの手紙を見ることがあるのか。

要らないながらも、捨てることの罪悪感を回避するために保管するだけだ。

だから捨てる。

 

 要らないと思っていながら、保管どころか触ることさえできないヤツらに比べたら、一見、人の気持ちを踏みにじっている私の方が、いくらかマシな顔つきだ。

 

ちなみに、私個人宛の手紙は、私個人が大切に保管する。

それは私にとって「要るモノ」だからだ。

今は、「要らないモノ」の話をしている。

 

 

 

 

 

共用物、共用スペースの取り扱い

話を冷蔵庫へ戻す。

私は冷蔵庫を片付ける「肝」を知っている。

冷蔵庫を継続して整理整頓するには、「誰かが継続して片付ける」といった対症療法的なアプローチでは効果がない。

そもそも、冷蔵庫の中を散らかさないようにしなければ、意味がないのだ。

 

ある日、冷蔵庫を片付けてくれていた社員Aに、労いの言葉をかけた。

社員Aは、嬉しそうに私に言った。

「どうやったら、みんな冷蔵庫をキレイに使ってくれるのですかね」

 

私はアドバイスした。

「冷蔵庫の中をよく見てごらん。本当に要らないモノは何だろう」

「未開封の飲み物がいくつか入っているだろう。本当に要らないモノは、飲みかけの物ではなく、未開封の物かもしれないよ」

 

そう。

私が冷蔵庫を片付けるとすると、まず未開封の飲み物を全て処分するだろう。

社員個人としては必要(になる)かもしれないが、共同使用している冷蔵庫にとって、貴重なスペースを一定期間占拠されるのは、不利益だ。

そしてもちろんだが、飲みかけの物については迷わず処分する。

 

社員Aは言った。

「あー・・でも確かにそうかも。でも、それされたら気軽に使えなくなって、誰も冷蔵庫にモノ入れなくなるかもしれませんね。片付ける手間がなくなりますね」

 

せっかくの冷蔵庫を使いにくくする。

これは、本末転倒のような話かもしれない。

しかし、本当に必要ならば使いにくくても使うだろう。

共有物・共用スペースに対する考え方は「必要なヤツが使う」という感覚、そのくらいで丁度いいと思う。

 

共有物・共用スペースほど皆が無責任になりやすい場所もないだろう。

「息苦しさ」「窮屈さ」がなければ、たちまち無法地帯となる。

 

 

動機の本質

また、話が逸れた。

 

で、私のアドバイスを、社員Aが実行するかどうか。

おそらく実行しないだろう。

人間は、「要るモノ」を処分するように育てられていない。

社員Aにとって、未開封の飲み物は「要るモノ」なのだ。

それどころか、無法地帯の冷蔵庫でさえも、社員Aには「要るモノ」なのだ。

 

「要るモノ」「要らないモノ」の価値を転換することができなければ、社員Aは一生経っても、本当の意味で冷蔵庫を片付けることができないだろう。

だとすれば、それは片付けではなく、片付けるフリだ。

 

しかし社員Aにとっては、片付けるフリこそが「要るモノ」なのだろう。

それによって、他の社員に感謝されるからだ。

物事の動機というのは、すべからくこういうものだと、改めて思った。

   

 

  

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