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「声がデカいだけ」の人間は、なぜ魅力的なのか

 

 

「声がデカい」=「リーダーシップ」という変な方程式

これは、軽犯罪法の話ではないし社内規則の話でもない。

正義の話でもないし、論法の話でもない。

組織を円滑に回す話だ。

 

組織に属していて、本当に不思議でならないことがある。

それは、「声がデカい」=「リーダーシップ」という誤った方程式がまかり通っているということだ。

 

「声がデカいからリーダーシップがある」というのと、「リーダーシップがあるから声がデカい」は、同じようだが全く違う。

「声がデカい」というのは、リーダーシップの一つの条件に過ぎない。

イコールではないし、絶対条件ですらはないのだ。

 

しかし、多くの人はイコールにしたがる。

また、イコールにするには違和感があるが、その違和感について芯を捉えられない。

といったところではないか。

 

それだけ「声がデカい」というのは魅力的な武器なのだろう。

現に、「声のデカさ」でリーダーになった人間は多い。

 

組織を成長させようとして、「声がデカいだけ」の人間をリーダーにしたのはよいが、逆に組織を停滞させる「ガン」になっているのだ。

 

私は、こういったエラーについて、「声がデカいだけ」の人間に責任があるとは思わない。

彼そして彼女たちは、単にデキない社員に過ぎない。

声がデカくてうるさいだけのデキない社員に過ぎないのだ。

 

責任は、デキない社員をリーダーにする組織の側にある。

「声がデカい」=「リーダーシップ」という方程式に当てはめて、デキない社員からデキないリーダーを生産する組織の責任は重い。

 

 

会議で実際にあった「トンデモ主張」①

声がデカいだけのリーダーがおこなう主張は、驚くほど身勝手だ。

以下、管理者会議で実際にあった「トンデモ主張」である。

 

会社に、更衣室ドロボーがでた。

そこで、社員それぞれがロッカーのカギをかけるように通達がでた。

それまで、ロッカーにカギをしていない社員が多かったのだ。

 

数日後、再び更衣室にドロボーがでた。

ロッカーにカギをかけていない社員の財布が盗まれていた。

 

後日の管理者会議。

財布を盗まれた社員が所属する部署の上司が、管理者会議で「警察を介入させて、本気で犯人を調べるべきだ」と主張した。

 

一見、正しい主張のように思える。

いや、正しい主張だ。

ココだけを切り取れば、正しい主張だ。

 

しかし、背景を含めて考えたら、「正しい主張なんだけど。。」とトーンダウンしてしまう。

 

最初に更衣室ドロボーがでた時、警察を呼んだ。

社員全員が指紋をとられたり、事情聴取された。

これには、「大袈裟だろ」という声も多かった。

大袈裟にすることで、抑止力を狙ったのだろう。

 

この時、警察は指摘した。

「ロッカーにカギをかけていない社員が多すぎる」と。

警察どうこうという話の前に、まず、自分の身は自分で守るという意識が低すぎるというのだ。

おっしゃる通りで、返す言葉もない。

このような流れがあって、ロッカーにカギをかけるように通達がでたのだ。

 

警察を呼ぶというパフォーマンスは、抑止力にはならなかった。

すぐに2回目の被害がでたのだ。

カギがかかっていないロッカーから財布が盗まれた。

これが、管理者会議でのトンデモ発言までの背景だ。

 

「部下にはカギをかけるように、改めて厳しく指導した。しかし、それとドロボー行為を見逃すというのは別問題だ。ドロボーはドロボーで追及すべき」

という主張なら誰もが納得する。

 

 しかし実際は、「2回もドロボーが出ているのに、野放しにしている会社と警察が悪だ。警察に本気で犯人を捜させるべきだ」と主張したのだ。

 

さすがに皆、開いた口が塞がらない。

それでも、見る人から見れば「自分たちを守ってくれるリーダー」「自分たちの主張を代弁してくれるリーダー」なのだろう。

 

 一派丸ごと会社から切り離してくれたら、ハッピーなのだが。

 

 

会議で実際にあった「トンデモ主張」②

こういうエピソードもあった。

 

会社に、一部の社員が「共有地」として活用しているデッドスペースがあった。

6畳程度の小さな部屋で、ある社員は資料の保管に、ある社員は販促品の一時保管に、着替えや残業時の非常食を保管している社員もいた。

 

ある時、会社がその部屋を目的をもって使用することとなった。

今まで黙認していた「共有地」ではなくなるのだ。

 

そのため、各自の私物を、「共有地」から撤去するように通達がでた。

通達には、「期限を過ぎてもその部屋に残っている物があれば処分する」という注意書きがあった。

 

当然、期限を過ぎても片付けない社員は存在する。

会社は通達どおり、それを処分した。

 

後日の管理者会議。

「共有地」に保管してあった物を処分された社員が所属する部署の上司が、「処分する前に声をかけるべきだ。本人へ返却すべきだ」という主張を展開した。

 

トンデモ主張①と同じで、一見、正しい主張だ。

結果だけみれば、正しい主張だ。

 

しかし、いずれの主張も文脈をすっ飛ばしている。

自分の主張に不利な部分を丸ごと削除して、自分の主張に有利な部分だけで突破しようとしている。

 

ロッカーにカギをかけていなかったことについての否は?

期限を過ぎても撤去しなかったことの否は?

 

要は、「自分のことを棚に上げている」のだ。

 

 

【関連記事】 

mataleao.hateblo.jp 

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自分の事を棚に上げると「デカい声」になる

人は誰でも、うしろめたい部分を持っている。

そしてうしろめたい部分は、人を評価する時の「ものさし」となっている。

 ところが、その「うしろめたさ」を棚に上げてしまえば、それは最強だ。

「うしろめたさ」がないのだから、100%フルパワーで主張できる。

 

その結果が、上記2つのエピソードだ。

 

棚に上げると自分自身の視界には入らないが、周囲からは丸見えだ。

本人にとっては、100%で主張できるのだから、さぞかし気持ちが良いことだろう。

しかし周囲には、「100%で主張している人間」と、その頭上に置かれた「後ろめたさ」がセットで見えている。

 

だから、そういう人間の主張には、驚くほど説得力がない。

「自分の事を棚に上げて、よくもまぁ、いけしゃあしゃあと。。。」

となってしまう。

 

 

まとめ

繰り返す。

これは、軽犯罪法の話ではないし社内規則の話でもない。

正義の話でもないし、論法の話でもない。

組織を円滑に回す話だ。

 

 聖書に、「汝らのうち、罪なき者まず石をなげうて」というのがある。 

 

「声がデカいだけの人間」は、自分の罪を棚に上げて、率先して女を石で打つだろう。

そして組織には、それが行動力や発信力に映り、あろうことかリーダーにしてしまう。

 

リーダーにするには、まず、棚に上げた「うしろめたさ」を降ろさせて、それでも女を打てるのか確認する必要がある。

それでも打てるのであれば、理由があるはずだ。

理由がなくても組織として打たなければならないのであれば、その葛藤から滲み出たモノを見せてほしい。

 

そのどうしようもない葛藤こそ、リーダーの資質たるものだ。

 

最後に、「声がデカいだけ」の人間が魅力的に見えるのは、アナタの目が節穴だからだ。

そんなアナタが組織の管理的立場なのであれば、それは残念だ。

 

  

いつかリーダーになる君たちへ

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