「RIZIN」 10年ぶりに復活した日本の総合格闘技の行く末について思うこと
総合格闘技を取り巻く環境の変化
平成27年、日本格闘技界に動きがあった。
約10年前、大晦日のテレビを席巻した「総合格闘技」を、再び盛り上げようという動きだ。
今、アメリカでは「UFC」という総合格闘技の大会が、一大ムーブメントを起こしている。
「この盛り上がり」は、かつての日本を彷彿させる。
しかし、今のアメリカと当時の日本には大きな違いがある。
UFCが総合格闘技の世界基準となったのには、理由がある。
約20年前に開催された第1回UFCは、バーリトゥード(噛みつきと目潰し以外は何でもアリ)という、当時としては革新的なルールのもと開催された、前衛的なイベントだった。いわゆる「地下」でしか成立しなかった「イロモノ格闘技大会」を、表に引っ張り出してきたのがウケたのだ。
相手に馬乗りになって素手で顔面を殴るといった凄惨な光景は、格闘技ファンに強烈なインパクトを与えた。
マッチメイクは、エキサイティングな試合になるような意図が見え隠れしたが、戦略が功を奏して、格闘技に興味のなかった一般人を巻き込んで、大ブームを巻き起こした。
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PRIDEの誕生
アメリカでのUFC熱は、日本にまで波及した。
PRIDEの誕生である。
PRIDEは、「ヒクソングレイシーVS高田延彦」からスタートした格闘技イベントだ。このイベントは、総合格闘技の面白さを一瞬で日本中に広めた。
そしてPRIDEは、間もなくUFCに成り代わって総合格闘技の世界基準となった。
PRIDEの成長と同時にUFCが衰退したのだ。
UFCは、格闘技ファン以外にも広く認知されたことが原因で、「危険」「野蛮」などの批判が相次いだ。そしてイベントとしての魅力を急速に失った。
世界の総合格闘技が日本中心に回る中、UFCは立て直しを迫られた。
そこでおこなったのが、総合格闘技の「競技化」である。
ルールを競技性の高いものに見直し、協会運営を充実させ、「イベント」ではなく「競技」に生まれ変わらせたのだ。
その頃、日本の総合格闘技は、「イベント」として大成功を収めていた。
特にマッチメイクは目を見張り、「階級無視は当たり前」「経験ではなくネームバリュー重視」などで、ファンを新規開拓していった。
その裏で、「過剰なイベント感」に辟易とした玄人は、日本の総合格闘技から離れていった。そして、アメリカで競技として生まれ変わったUFCに移っていったのである。
そこで日本の総合格闘技玄人が目にしたものは、「イベント」ではなく、「競技」として洗練された質の高い総合格闘技だった。
ほどなく日本の総合格闘技ブームは下火になり、あっという間に日本国民から忘れ去られた。
日本の総合格闘技が「RIZIN」として復活
あれから約10年。
フジテレビが仕掛けた「RIZIN」という総合格闘技イベント。
UFCにならい、協会運営を充実させていく狙いがあるようだ。
それは、ホームページの理念にも明記してある。
総合格闘技の復活を機に、「競技」として成功させようとする意気込みを感じる。
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12月29日の試合を観て思ったこと
当時の、「過剰な演出」に懲りたのかどうかは知らないが、「イベント」から卒業することについて、私は賛成だ。
しかし、12/29、31に開催されるカードを見てガッカリした。
「昔取った杵柄」オンパレード。
29日の試合で、かつての寝業師は、寝技で何もさせてもらえなかった。
また、当時は一発のパンチで相手を仕留めていた番長は、何発殴っても相手を倒す事ができなかった。
「日本で総合格闘技を復活させる」時、どういう戦略が正しいのか。
過去の有名選手を利用して、昔のファンを取り込むのがよいのか。
それとも、当時は子供だった「総合格闘技ネイティブ」達が競い合う、「洗練された本物の総合格闘技」を披露するのがよいのか。
「マッチメイクをツッコまれても、総合格闘技は興行だから仕方がない」と言うつもりか。
そもそも、「興行」を卒業して「競技」へ進化させるのではなかったのか。
まとめ
「RIZIN」が成功するかどうかは私にもわからない。
しかし、29日に行われた試合を観たかぎりでは、残念な結果になりそうだ。
口では「脱イベント」を謳いながら、当時と何も変わっていない。
UFCやボクシング、あるいは野球やサッカーのような協会運営は無理ではないかと感じた。
とは言え、日本で総合格闘技が再び盛り上がることを期待している自分がいる。
31日おおみそかの試合を観た上で、しっかり評価したいと思う。
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