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努力するのも才能。「やればできる」は「やることができない」という意味なんだ。

 

 

子どもの頃は未来があった

小学校の頃は、そこそこ勉強ができていました。

ダメになったのは中学2年からですね。英語、数学、理科と挫折しました。

 

一度挫折すると、その後は努力をしなくなります。

授業、宿題、テストと、まともに向き合わなくなりました。 

 ただ、余裕とプライドはありました。

「小学生の頃は、そこそこできていた」というプライドが余裕を生んでいたのでしょう。

自分は、「やればできる子」なんだと思っていました。

で、また、周りも言うんです。「あなたは、やればできる子」だと。

 

結局、そこへ逃げ込みました。

スイッチを入れてやる気を出したら、いつでも巻き返すことができる。

だって、まだまだ未来があるんだから。

 

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勉強で勝負しなくてもいいんじゃない

高校でも大学でも、まともに勉強しませんでした。

「やればできる」を引きずりつつも、やるのがどんどん面倒になっていました。

なんとか人生歩めているし、別に勉強で勝負しなくてもいいじゃんって感じでした。

 

そして社会人になりました。

「やった!勉強のプレッシャーから解放される!!」

しかし、それは間違っていました。

社会に出たら勉強しなければ通用しませんでした。

何でもかんでも吸収していかなければ通用しないんです。

 

当初は、「なんで大人になってまで勉強しなければならないんだ」と思っていました。

しかし、勉強すればするだけ仕事の成果が上がるものです。

努力が報われる体験を繰り返し味わうにつれ、こんなことを思うようになりました。

「なんで、子供の頃にもっと勉強しなかったのだろう」

 

 

子どもの頃の「未来」に立った今

子どもの頃に、「いつでも巻き返せる。やればできるんだから」と考えていた未来に、今立っています。

必要に迫られて勉強を続ける毎日です。

社会人は皆それぞれ「日々勉強」です。

おかげで、勉強することの楽しさも何となくわかるようになりした。

結果に反映されるとモチベーションにもつながります。

 

子どもの頃も大人になった今も、私は「やればできる子」なのでしょう。

しかし、今は「やればできる」なんて口にしたことも思ったこともありません。

周囲も私に対して「やればできる」といった発言をしたことありません。

 

「やればできる」は、「やることができない」という言葉の裏返しなのですね。

「やればできる」を真に受けていました。

 

あの当時、私は自分自身に対して、「私は、やることができない子だ」と言っていたのです。

そして周囲の人間も、「あなたは、やることができない子だ」と言っていたのです。

  

今現在、「やればできる」と思っている人たちへ。

「やればできる」は「何にもできない」のと同じです。

だって、やってないのですから。

 努力できない自分をごまかさないで、「自分は何もできないし、やっていない」と、認めるところからやっていきましょう。

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